戦国日本の城郭遺跡群

岐阜城
図

戦国時代の社会情勢

戦国時代は、100年続く内乱の時代です。戦国大名と呼ばれた武将同士の争いも多発するだけでなく、 農民の一揆、忍者の独立、寺院勢力の武装化などにより、武将以外の勢力も争いに巻き込まれていました。 そのため、武将、農民、忍者、寺院勢力といった様々な身分の人々が城を築いていました。 その後、天下人と呼ばれる武将の登場により、争いは徐々に収束していきます。 それに伴い、防衛目的で築かれていた城は、支配の象徴へと役割を変化させていきました。

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図1
図2

中世日本での城郭技術

100年に及ぶ内乱により、築城技術も飛躍的な進歩を遂げました。 防衛目的から、「魅せる」機能も兼ね備えた城郭建築は、現在でも土塁や石垣といった遺構から読み取ることが出来ます。

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図3

東アジアでの大航海時代

日本が戦国時代を迎えていたころ、世界は大航海時代でした。スペインやポルトガルの船は何度も日本を訪れ、 各地の勢力と交流を行っていたことが多くの書物に記されています。 その交流の舞台となったのが城郭でした。

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図4

構成遺産

全部で18の文化財を選んでいます。

  資産名 種別
1 一乗谷朝倉氏遺跡 地方大名
2 小谷城跡 地方大名
3 観音寺城跡 地方大名
4 甲賀郡中惣遺跡群 甲賀郡中惣一揆
5 伊賀国中惣遺跡群 伊賀惣国一揆
6 根来寺 寺院勢力
7 鳥越城跡 加賀一向一揆
8 芥川山城跡 三好政権
9 飯盛山城跡 三好政権
10 小牧山城跡 織田政権
11 岐阜城跡 織田政権
12 安土城跡 織田政権
13 大坂城跡 豊臣政権
14 大和郡山城跡 豊臣政権
15 宇陀松山城跡 豊臣政権
16 高取城跡 豊臣政権
17 石垣山城跡 豊臣政権
18 名護屋城跡 豊臣政権

ギャラリー(クリックすると拡大します)

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1:一乗谷朝倉氏遺跡

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2:小谷城跡

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4:甲賀郡中惣遺跡群

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5:伊賀国中惣遺跡群

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6:根来寺

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8:芥川山城跡

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11:岐阜城跡

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12:安土城跡

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13:大坂城跡

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15:宇陀松山城跡

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17:石垣山城跡

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18:名護屋城跡

似ている世界遺産

イギリス

グヴィネズのエドワード1世王の城郭群(イギリス)

13世紀後半にイングランド王のエドワード1世によって建設された、 中世ヨーロッパの城郭建築を今に伝える城郭群です。

インド

ラジャスタンの丘陵城塞群(インド)

8~18世紀に繁栄したラージプート諸国の権勢を伝える6つの城塞から構成されています。 イスラム教の影響を受けた装飾や庭園が残っているのも大きな特徴です。

琉球

琉球王国のグスク及び関連遺産群(日本)

琉球王国での交流・社会・自然崇拝的な信仰を伝えるグスク跡(城跡)や祭祀拠点から構成されています。 登録されているグスク跡(城跡)はすべて石垣のみの遺構です。

イラスト・イメージ図

図1
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作成者より

今回は戦国時代についての内容をまとめてみました。

城跡って世界遺産になれるの?って思われたかもしれませんね。 確かにどれも天守閣などの建物は残っていません。 しかし、石垣などの遺構からは城の規模や構造がわかるので、 石垣といったものにも価値があると言える訳です! イメージとしては、縄文遺跡などの考古遺跡といった扱いになる訳ですね。

あと、実は、織田信長と豊臣秀吉に関する世界遺産って存在しないんです。 意外ですよね~。 彼らは世界史的な視点でも重要人物なので、 彼らに関する世界遺産があってもいいのではないかと思っています。

他にも、私が調査してて疑問に感じたのが、 長崎の潜伏キリシタンは世界遺産として評価されているのに、 仏教徒による共和制を築いていた歴史があまり評価されていない点です。 本願寺の門徒や一向一揆と呼ばれる人々が 城を用いて大名たちに抵抗していたという歴史は、 世界史的に見てもかなり特異です。 なのに国内では、 どうも天下人に対抗したというネガティブなイメージが強い印象を覚えます。 一見地味に思えるような歴史ですが、 名もなき人々が権力に抗い続けたという事実についての 評価を改めてもいいのでは、と調査をしながら強く思いました。 キリスト教は良くて仏教はダメっていう理論はそもそもおかしいですし。

参考文献・サイトリスト

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