戦国日本の城郭遺跡群

信長・秀吉ら、戦国時代のモニュメント

安土城 一乗谷 福地城 石垣山城

基本情報

🧭所在地 神奈川県・石川県・福井県・愛知県・岐阜県・三重県・滋賀県・大阪府・奈良県・和歌山県・佐賀県

⏳時代戦国・安土桃山時代

📘構成資産 戦国時代を代表する城郭遺跡

キーワード

戦国時代 安土桃山時代 天下人 三好長慶 織田信長 豊臣秀吉 戦国大名 寺社勢力 忍者 一揆 山城 石垣 天守閣

価値

戦国の分立から統一への変革を城郭遺跡が伝える

この提案について

城といえば、多くの人が天守閣のある姿を思い浮かべるかもしれません。

しかし戦国時代の城の多くは、天守閣を持たないものでした。 実際に城を形づくっていたのは、石垣や土塁、堀、そして地形を活かした構造そのものです。

そしてもう一つ見逃せないのは、 武士だけでなく、寺院や農村、各地の勢力もまた、それぞれに拠点となる「城」を築いていたことです。

山を削り、土を盛り、地形を活かして築かれたそれらの城は、 当時の社会のあり方そのものを映し出していました。

城を天守ありきで見るのではなく、 多様な人々によって築かれた、時代を象徴する存在として読み解く——そんな提案です。

画像

左上から時計回りに戦国大名の山城、要塞化した寺院、忍者の城館、農村の城

価値の解説

1. 分立する戦国社会

多様な勢力が築いた戦国初期の城と社会

戦国時代の初期、日本では中央の力が弱まり、 各地で戦国大名や寺社勢力、自治共同体などが、それぞれに拠点を築いていきました。 防衛と統治のために築かれた城は、山城を中心に各地へと広がり、 地域ごとに異なる勢力が並び立つ風景が生まれていきます。

分立する戦国社会 乱立する城と勢力 これが、戦国のリアル → 詳しく見る

戦国時代の初期には、守護や将軍による支配が形骸化し、 各地で地域勢力が自立していきました。

たとえば、越前の一乗谷では戦国大名朝倉氏が城下町を築き、 近江では戦国大名浅井氏が小谷城を築きました。 当時の日本の中心地である京都とは異なる地域に、 政治・経済・文化の中心として機能する都市が多く形成されました。

戦国大名
一乗谷遺跡
小谷城

一方で、寺社勢力や自治共同体も独自の拠点を築いていました。 紀伊の根来寺や近江の百済寺などは武装した宗教勢力の中心として機能し、 忍者で有名な伊賀・甲賀では惣と呼ばれる自治組織が防衛拠点を形成していました。 他にも、加賀では農民による一向一揆が自治を担っていました。

戦国時代を構成する多様な主体
根来寺
伊賀・甲賀の遺跡

これらの城は多くが山地や丘陵に築かれた山城であり、 地形を活かした防御構造が特徴でした。 曲輪や切岸、土塁などを組み合わせた防御は、 近世城郭へとつながる基礎技術となっていきます。

山城

また16世紀半ばには鉄砲が伝来し、 戦術や城の防御構造にも変化が生まれ始めました。 外来技術の導入は、戦国社会に新たな影響を与えていきます。

このように、戦国初期の城郭は、 多様な主体がそれぞれの目的で築いた拠点であり、 分立した社会構造そのものを反映しています。

2. 天下人と城郭の革新

権力を示す装置へと変化した戦国の城

戦国時代中期になると、各地に分立していた勢力は次第に統合へと向かい、 畿内では三好長慶、続いて織田信長が広域支配を進めていきました。 それに伴い、城は単なる防衛拠点から、 権力を示し支配を行うための象徴的な存在へと変わっていきます。

天下人と城郭の革新 城は「見せる」時代へ これが、天下人の城 → 詳しく見る

戦国時代中期の畿内では、三好長慶がいち早く広域支配を実現し、 将軍を凌ぐ政治権力を確立しました。 これは後の天下人による統一に先立つ重要な段階であり、 城郭が単なる軍事拠点から政治的中枢へと変化する転換点でもありました。

三好長慶
芥川山城跡
飯盛山城跡

その後、織田信長は小牧山城や岐阜城を拠点に勢力を拡大し、 従来の山城から、徐々に平地での城づくりへと移行していきました。 城は軍事拠点であると同時に、支配の中心として機能するようになります。

織田信長
小牧山城
岐阜城

その象徴が安土城です。 石垣を多用し、高層の天守を備えたこの城は、 防御だけでなく権威を視覚的に示すための建築でした。 城下町も整備され、政治・経済の中心としての役割を担います。

安土城跡
天下人の城

こうした築城技術の革新の背景には、 鉄砲の普及や南蛮文化の影響など、 外来の技術や文化との接触がありました。 戦国日本は、東アジアの交流の中で大きく変化していったのです。

その後、この流れは、豊臣秀吉に受け継がれることになります。 城はもはや戦うためだけの施設ではなく、 権力を象徴し、人々を統治するための中心へと変化していきます。

3. 統一へ向かう巨大城郭

国家規模へ拡張した戦国最後の城郭群

戦国時代の終盤には、豊臣秀吉による全国統一が進み、 城郭の役割は地域支配の拠点から、国家規模の統治装置へと拡大していきました。 各地の大規模城郭は、戦乱の終結と新たな統一国家の成立を象徴する存在となります。

統一へ向かう巨大城郭 城は国家の中心へ 戦国の終着点 → 詳しく見る

豊臣秀吉は、全国統一の過程で巨大な城郭ネットワークを形成しました。 大坂城はその中心として、政治・軍事・経済の中枢機能を担い、 新たな国家体制の象徴となりました。

豊臣秀吉 大坂城

また、全国統一を進める中で整備された城郭は、 単なる軍事拠点ではなく、広域支配を支える行政拠点として機能しました。 大和郡山城はその初期段階を示す重要な城のひとつです。

小田原征伐に際して築かれた石垣山城は、 短期間で築かれた臨時的な巨大城郭でありながら、 戦国終結を決定づける軍事的象徴となりました。

大和郡山城
石垣山城

さらに名護屋城は、朝鮮出兵の拠点として築かれ、 国内統一の枠を超えて東アジア規模の動員体制を示す城郭でした。 これは戦国時代の城が到達した最大規模の形態といえます。

名護屋城跡

このように戦国末期の城郭は、 戦乱の終結とともに国家統治の中枢へと変化し、 日本が統一国家へ移行する過程を具体的に示しています。

既存の世界遺産との比較

世界遺産に登録されている城郭などと見比べることで、 戦国城郭の価値が、より鮮明に浮かび上がります。画像 "クリック""タップ"で、その比較をご覧ください。

グウィネズ

共通点:軍事・統治の拠点として築かれた複数の城郭から、歴史的変動を伝える

相違点:グウィネズは王権による征服支配で、戦国城郭は多勢力の分立から統一への過程

ラジャスタン

共通点:複数勢力が各地に地形を活かした防衛施設を築いた

相違点:ラジャスタンが王国勢力中心で、戦国城郭は寺社・自治・忍者なども含む多層社会

カルカソンヌ

共通点:戦乱の時代での防衛を目的とした築城遺産

相違点:カルカソンヌは単一都市の防衛空間、戦国城郭は広域に展開する変化の歴史群

サン・ジミニャーノ

共通点:分権社会の競争構造を示す

相違点:サン・ジミニャーノは都市貴族の競争社会、戦国城郭は軍事・自治・宗教を含む武装社会

次に、日本の世界遺産との比較です!同じく画像 "クリック""タップ"で、その比較をご覧ください。

姫路城

共通点:戦国期の技術革新を継承し、防衛と権威を兼ね備えた日本城郭の発展を示す

相違点:姫路城が完成形の単体城郭、戦国城郭は成立過程そのものを示す遺跡群

既存の城郭の世界遺産は、グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁のような王権の支配や、カルカソンヌのような都市防衛など、特定の権力や完成された姿を示すものが中心でし。 これに対して「戦国日本の城郭遺跡群」は、大名・寺社・自治共同体など多様な主体が並立した社会と、そこから統一へ向かう歴史の過程を示しています。 城郭を通して社会構造の変化そのものを可視化する点で、世界的にも唯一無二の価値を持っています。

なぜこの選定なのか

ではここで、他の情報と比較してもなお、この遺産が示す価値は適切なのかを整理しておきましょう。 理由をまとめると、以下の三つです。"クリック""タップ"で内容をご覧になれます。

統一
統一過程を示す選定

本提案では、戦国時代の個別の戦いや勢力ではなく、 分立した社会が統一へと収束していく過程を重視しています。 そのため、統一を推進した天下人と、それに対抗した勢力の城郭を選定し、 歴史の転換点を示す構成としています。 武田信玄や上杉謙信などの有名な戦国大名に関する城を選んでいないのはそのためです。

時代
戦国終結期への焦点

対象とするのは、戦国時代全体ではなく、 分立から統一へと向かう終結期です。 安定した江戸時代ではなく、 社会構造が大きく変化した動的な時代を切り取ることで、 歴史の変革そのものを明確に示しています。 ですので、徳川家康に関する城を選定していません。

地域
地域集中による連続性

中部・近畿地方に範囲を集中させることで、 山城から石垣を用いた大規模城郭へと至る築城技術の発展を、 地理的に連続した形でたどることができます。 これにより、点ではなく流れとして戦国時代の変化を示すとこができます。 日本各地に名城は点在していますが、まとまりを作るためにエリアを絞っています。

このように、歴史の転換点・時代のダイナミズム・技術の進化を一体として見ることで、 戦国日本の姿がより明確に浮かび上がってくるのではないでしょうか。

構成資産

ここからは、この提案を形づくる構成資産をご紹介します。

ただ、これはあくまでも代表例を選んだものであって、決して「これが正解!」ではないことにはご注意ください。

分立した社会での城

一乗谷朝倉氏遺跡

一乗谷朝倉氏遺跡

小谷城跡

小谷城跡

根来寺

根来寺

百済寺

百済寺

伊賀・甲賀の遺跡

伊賀・甲賀の遺跡

鳥越城跡

鳥越城跡

天下人たちの城

芥川山城跡

芥川山城跡

飯盛山城跡

飯盛山城跡

小牧山城跡

小牧山城跡

岐阜城跡

岐阜城跡

安土城跡

安土城跡

大坂城跡

大坂城跡

大和郡山城跡

大和郡山城跡

石垣山城跡

石垣山城跡

名護屋城跡

名護屋城跡

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登録基準

ここまで見てきた価値を、 世界遺産の「登録基準」に照らして整理してみましょう。 戦国城郭が持つ価値が、より明確に見えてきます。

文化の交流

戦乱の時代に発展した軍事・築城文化の交流拠点

戦国時代の日本では、鉄砲の伝来や新たな戦術の普及、 石垣・城下町整備などの築城技術が各地で発展した。 名護屋城に象徴される対外活動や広域動員も含め、 城郭遺跡群は東アジア情勢と結びついた交流の時代を伝えている。

文化・文明

多様な権力が並立した戦国日本独自の社会構造

戦国日本では、大名だけでなく、 寺社勢力、自治共同体、一揆、忍者集団など、 多様な勢力が各地で独自の支配と防衛を行っていた。 それぞれの拠点となった城郭遺跡は、 世界的にも特徴的な中世社会の姿を今に伝えている。

建築・技術

山城から近世城郭へ進化した日本の築城技術

戦国時代には、地形を活かした山城から、 石垣や天守を備えた大規模城郭へと築城技術が大きく発展した。 安土城、大坂城、石垣山城などに見られる革新は、 中世から近世へ移行する日本城郭史の到達点を示している。

最後に

戦国時代は、決して穏やかな時代ではありませんでした。 戦乱や略奪、災害など、人々にとって生きることそのものが厳しい時代でもありました。

そうした中で、人々は身を守り、暮らしを支えるために城を築いていきます。 山を削り、土を盛り、石を積み上げながら、各地に拠点が形づくられていきました。

そしてその積み重ねの先に、安土城や大坂城のような大きな城が現れ、 戦国の終わりと新しい時代のはじまりを象徴する存在となっていきます。

それまでの不安な日々を越えて、 そうした城を見上げたとき、人々は何を感じたのでしょうか。

天守を見上げる人々のイメージ

戦国の城は、単なる軍事施設ではありません。 そこには、この時代を生き抜こうとした人々の営みが刻まれています。

石垣や地形として残る城の姿は、 戦国という時代を必死に生きた人々の営みそのものです。 それらは単なる遺構ではなく、 この時代を物語る「戦国時代のモニュメント」と言えるでしょう。

こんな世界遺産、あってもいいんじゃない?

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