鎌倉の社寺

鶴岡八幡宮
図

武家による信仰の地

1185年、源頼朝は後に鎌倉幕府と呼ばれる政治体制を確立し、鎌倉の地は武家政権の都になりました。 そんな鎌倉には武家政権の守護神や守護仏として扱われる神社仏閣が整備されたことから、 幕末までの約700年もの間、武家による信仰の地であり続けました。

右へスクロール →

図1

「武士道」の源泉地

鎌倉時代は中国との交流が再開した時代でもあるので、従来の国風文化とは異なる鎌倉文化が鎌倉を中心に栄えました。 その代表的な存在が「禅」で、武士の道徳観と融合したことで「武士道」の源流となる価値観が鎌倉で成立しました。

右へスクロール →

図2
図3

構成遺産

全部で12の文化財を選んでいます。

  資産名 種別
1 鶴岡八幡宮 信仰/武家の守護神
2 鎌倉大仏 信仰/武家の守護仏
3 荏柄天神社 信仰/武家の守護神
4 寿福寺 禅宗
5 覚園寺 武家文化
6 浄光明寺 武家文化
7 建長寺 禅宗/武家文化
8 浄妙寺 禅宗
9 称名寺 武家文化
10 円覚寺 禅宗/武家文化
11 浄智寺 禅宗
12 瑞泉寺 禅宗/武家文化

ギャラリー(クリックすると拡大します)

画像1

1:鶴岡八幡宮

画像3

2:鎌倉大仏

画像2

3:荏柄天神社

画像4

4:寿福寺

画像5

5:覚園寺

画像6

6:浄光明寺

画像7

7:建長寺

画像8

8:浄妙寺

画像9

9:称名寺

画像10

10:円覚寺

画像11

11:浄智寺

画像12

12:瑞泉寺

似ている世界遺産

ロドス

ロドス島の中世都市(ギリシャ)

十字軍・聖ヨハネ騎士団がイスラム勢力に対抗するために築いた全長4kmに及ぶ城壁 に守られた中世の要塞都市です。

ヴァレッタ

ヴァレッタ市街(マルタ)

十字軍・聖ヨハネ騎士団がイスラム勢力、特にオスマン帝国の襲撃に備えて建設された城塞都市です。

カイロ

カイロ歴史地区(エジプト)

中世から建造され始めたエジプトの中心都市・カイロに残るモスクなどからなる旧市街です。 イスラムの軍人奴隷であるマムルークに関するモスクも数多く残っています。

イラスト・イメージ図

図1
図2

作成者より

今回は鎌倉時代の武士についての内容をまとめてみました。

2013年に日本政府から世界遺産候補として推薦されたのが鎌倉です。 当時は「武家の古都・鎌倉」の名称で、 鎌倉の地形的特徴や武家による政治・文化をメインコンセプトにした結果、 「当時のものがほとんど残っていない」や 「地理的特徴のみでは世界遺産に値するとは言えない」 という評価を受け、登録には至りませんでした。

当時のことは、学生ながらに疑問と悔しさを感じたのを覚えています。 そこから独自に研究をし、 調査機関から好印象だった武家の精神面や文化面を示す社寺を中心に 構成遺産とメインコンセプトを再構築してみました。 武家に関係するものの中で、特に国際的な認知度を持つ「武士道」も組み込めば 世界遺産登録も不可能ではないと考えています!

このまま鎌倉が世界遺産にならないというのは、 1人の日本人としても寂しいですし、何よりも勿体ない! このページのような攻め方もあるのではないでしょうか?

参考文献・サイトリスト

前のページに戻る

▲ページトップに戻る