なぜ世界遺産なのか
「西洋の技術を、日本へ」
幕末の日本では、欧米諸国の進出に備えるため、 製鉄や造船などの近代産業を育てる必要が生まれました。
そこで日本は西洋の技術を積極的に取り入れ、 反射炉や造船所などの近代的な産業施設を 各地につくっていきました。
日本の産業革命が始まった。
「日本独自の産業へ」
日本は導入した技術をそのまま使うだけではなく、 国内の資源や技術、人材に合わせながら 独自に発展させていきました。
製鉄、造船、石炭産業などが相互に結びつき、 西洋から導入した技術が日本の産業基盤として 定着していきました。
日本の産業へと育てていった。
「産業国家への転換」
こうして日本では、製鉄、造船、石炭などの 重工業が急速に発展しました。
幕末から明治後期にかけて生まれた産業施設は、 日本が短期間で近代的な工業国家へと 変化していった過程を物語っています。
日本は産業国家へ変わった。
構成資産
萩エリア(山口県)
鹿児島エリア
韮山エリア(静岡県)
釜石エリア(岩手県)
佐賀エリア
長崎エリア
三池エリア(福岡県・熊本県)
八幡エリア(福岡県)
登録基準
世界遺産には、それぞれ「なぜ世界遺産なのか」を示す登録基準があります。 ここでは、産業革命遺産が、どの基準でその価値を認められているのかを見ていきます。
技術の交流
西洋の技術を受け入れ、日本独自の産業へ発展させた交流の証拠
19世紀半ばの日本は欧米から製鉄・造船・石炭採掘などの技術を導入し、 国内の需要や社会に合わせて改良・応用した。 その技術交流は、短期間で日本の重工業を発展させる原動力となった。
産業化の歴史
非西洋国家として初めて近代産業化に成功した過程を伝える遺産群
製鉄・製鋼、造船、石炭産業を担った23の構成資産は、 西洋技術の導入から実践・応用を経て、産業システムが確立されるまでの過程を示している。 日本が近代的な産業国家へと転換した歴史を物語る、世界的にも重要な技術遺産群である。