「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

海の彼方へ捧げた古代の祈り

沖ノ島 遥拝所 辺津宮 古墳群

基本情報

🧭所在地福岡県

⏳時代古墳時代~平安時代

📘構成資産 宗像沖ノ島の祭祀遺跡、神社、古墳群

キーワード

沖ノ島 宗像大社 祭祀遺構 岩上祭祀 岩陰祭祀 露天祭祀 海の正倉院 宗像三女 遥拝所 宗像氏 新原・奴山古墳群

価値

古代東アジア交流を背景とする海洋信仰の姿を伝える

なぜ世界遺産なのか

沖ノ島

「海を越えた交流の証」

4世紀から9世紀にかけて、沖ノ島では 航海の安全を祈る祭祀が行われていました。

そこには日本列島だけでなく、朝鮮半島や中国大陸など 海外からもたらされた貴重な品々が 数多く奉納されました。

海の彼方から届いた品々が、
古代東アジアの交流を物語る。
宗像大社辺津宮

「今も続く、神を祀る伝統」

沖ノ島への信仰は、古代の祭祀が終わった後も 宗像三女神への信仰として受け継がれてきました。

沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、九州本土の辺津宮、 そして沖ノ島を遠くから拝む遥拝所など、 海を介して結ばれた信仰の場が現在も残されています。

古代の祭祀は姿を変えながら、
今も「神宿る島」を守り続けている。

構成資産

沖ノ島

沖ノ島

沖ノ島遥拝所

沖ノ島遥拝所

宗像大社中津宮

宗像大社中津宮

宗像大社辺津宮

宗像大社辺津宮

新原・奴山古墳群

新原・奴山古墳群

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登録基準

世界遺産には、それぞれ「なぜ世界遺産なのか」を示す登録基準があります。 ここでは、宗像沖ノ島が、どの基準でその価値を認められているのかを見ていきます。

東アジアの文化交流

古代の海上交流が生み出した、祭祀と文化の交流の証拠

沖ノ島では、4世紀後半から9世紀末にかけて、 日本列島・朝鮮半島・中国大陸との交流を背景とした祭祀が行われた。 その遺物や祭祀の変化は、古代東アジアにおける活発な交流と 日本文化の形成過程を今に伝えている。

「神宿る島」の伝統

古代から現代まで受け継がれる、島への信仰の稀有な証拠

沖ノ島には、約500年間にわたる古代祭祀の遺跡がほぼ手つかずで残されており、 その後も島を神聖な存在として崇拝する伝統が受け継がれてきた。 沖津宮・中津宮・辺津宮へとつながる信仰は、現在も続いている。

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古墳時代

3世紀~592年

沖ノ島の岩上での祭祀が始まる

飛鳥時代

593年~709年

祭祀の場が岩陰に移る

奈良時代

710年~794年

祭祀の場が露天に移る

平安時代

794年~1184年

900年頃に祭祀が終わり、500年間の祭祀遺構が残されることに