なぜ世界遺産なのか
「信仰を隠して生きた」
17世紀、キリスト教が禁じられると、 長崎と天草のキリシタンたちは信仰を捨てることなく、 人目を避けながら信仰を続ける道を選びました。
原城跡などに残る遺跡は、 禁教政策によってキリスト教徒が置かれた状況と、 その後の「潜伏」の始まりを物語っています。
信仰を捨てなかった。
「信仰を守る集落」
宣教師がいなくなった後も、 潜伏キリシタンたちは各地の集落で 独自の方法によって信仰を受け継ぎました。
聖地や墓地、住居などが残る集落には、 厳しい環境の中で共同体を維持しながら 信仰を守り続けた人々の暮らしが刻まれています。
人々は集落の中で信仰を守った。
「信仰が再び表に出る」
19世紀になると、宣教師が再び長崎に入り、 大浦天主堂が建てられました。
その教会を訪れた潜伏キリシタンが 自らの信仰を明かした「信徒発見」は、 長い潜伏の時代が大きく変化する 転機となりました。
再び歴史の表舞台へ現れた。
構成資産
登録基準
世界遺産には、それぞれ「なぜ世界遺産なのか」を示す登録基準があります。 ここでは、潜伏キリシタン関連遺産群が、どの基準でその価値を認められているのかを見ていきます。
潜伏キリシタンの伝統
禁教の時代を生き抜き、独自の形で受け継がれた信仰の証拠
キリスト教が禁じられた17世紀から19世紀にかけて、 潜伏キリシタンは長崎・天草の海辺や離島などに集落を形成し、 外部からの影響を受けながらも信仰の本質を守り続けた。 その独自の宗教的伝統を、集落や聖地、教会などが今に伝えている。