長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

信仰を守り抜いた祈りの記憶

大浦天主堂 原城 崎津集落 野首教会

基本情報

🧭所在地 長崎県・熊本県

⏳時代江戸時代

📘構成資産 潜伏キリシタンと関係の深い教会・集落・城跡

キーワード

潜伏キリシタン 禁教令 日本二十六聖殉教者 島原の乱 天草四郎 鎖国 絵踏 五島列島 大浦天主堂 信徒発見 信教の自由

価値

禁教下で信仰を継承した人々の歴史と文化を伝える

なぜ世界遺産なのか

原城跡

「信仰を隠して生きた」

17世紀、キリスト教が禁じられると、 長崎と天草のキリシタンたちは信仰を捨てることなく、 人目を避けながら信仰を続ける道を選びました。

原城跡などに残る遺跡は、 禁教政策によってキリスト教徒が置かれた状況と、 その後の「潜伏」の始まりを物語っています。

禁じられても、
信仰を捨てなかった。
天草の﨑津集落

「信仰を守る集落」

宣教師がいなくなった後も、 潜伏キリシタンたちは各地の集落で 独自の方法によって信仰を受け継ぎました。

聖地や墓地、住居などが残る集落には、 厳しい環境の中で共同体を維持しながら 信仰を守り続けた人々の暮らしが刻まれています。

教会がなくても、
人々は集落の中で信仰を守った。
大浦天主堂

「信仰が再び表に出る」

19世紀になると、宣教師が再び長崎に入り、 大浦天主堂が建てられました。

その教会を訪れた潜伏キリシタンが 自らの信仰を明かした「信徒発見」は、 長い潜伏の時代が大きく変化する 転機となりました。

隠されていた信仰が、
再び歴史の表舞台へ現れた。

構成資産

原城跡

原城跡

平戸の聖地と集落

平戸の聖地と集落

天草の崎津集落

天草の崎津集落

外海の出津集落

外海の出津集落

外海の大野集落

外海の大野集落

黒島の集落

黒島の集落

野崎島の集落跡

野崎島の集落跡

頭ヶ島の集落

頭ヶ島の集落

久賀島の集落

久賀島の集落

奈留島の江上集落

奈留島の江上集落

大浦天主堂

大浦天主堂

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登録基準

世界遺産には、それぞれ「なぜ世界遺産なのか」を示す登録基準があります。 ここでは、潜伏キリシタン関連遺産群が、どの基準でその価値を認められているのかを見ていきます。

潜伏キリシタンの伝統

禁教の時代を生き抜き、独自の形で受け継がれた信仰の証拠

キリスト教が禁じられた17世紀から19世紀にかけて、 潜伏キリシタンは長崎・天草の海辺や離島などに集落を形成し、 外部からの影響を受けながらも信仰の本質を守り続けた。 その独自の宗教的伝統を、集落や聖地、教会などが今に伝えている。

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江戸時代

1603年~1867年

島原の乱から信徒発見まで